先週の日曜、Kavli IPMUと東工大ELSIの主催する合同講演会「起源への問い」に参加した。
非常に興味深い内容で、充実した時間を過ごせた。
「起源への問い」は東大のKavli IPMUと東工大のELSIが行なっている合同講演会であるが、宇宙の始まりとか生命の始まりとかの「起源」をテーマにそれぞれの立場から考えるという一般向けの講演会である。今回3回目ということだったが、以前に東大の伊藤謝恩ホールで行われた時参加したことがある。
今回は東工大の蔵前会館で行われ、前回同様事前申し込みで抽選になったようだ。運良く当選、日曜の午後から普段触れられないような、アカデミックな雰囲気の中で楽しい講演を聴くことができた。この日は、ついでに大岡山キャンパスに通う甥っ子に荷物を渡すということもあり、一石二鳥だったと思う。
講演会は午後一の13:00からなので、午前10時過ぎに特急ひたちで品川へ。その後乗り換えて大岡山駅に到着。甥っ子が迎えてくれて、蔵前会館まで案内してもらった。会場に到着して受付を済ます。
最初に司会の桜井先生から挨拶があり、続いてWPIプログラムのディレクター宇川先生から最先端の研究拠点に関する説明や、研究プログラムに関する説明をされた。そしていよいよ講演。
宇宙の始まりに迫る 杉山直先生 IPMU
地球外生命 井田茂先生 ELSI
かたちが生まれるとき 伊藤亜紗先生 東工大
鼎談
この講演会は大体IPMUとELSIから一人ずつ登壇され、最後は文系の先生が登壇されるようだ。
まず最初はIPMU主任研究員であり、名古屋大学教授の杉山先生。今回もゴーギャンの言葉
「我々はどこから来て、何者であり、どこへ向かうのか」
から始まった。これをもじって
「宇宙はどこから来て、何者であり、どこへ向かうのか」
という問いとして、淮南子の宇宙の始まりに関する文句を引いて説明を始められた。
最初はエジプトやインド、メソポタミアの神話に始まり、それらに共通する「ドロドロした」、「卵」、「海」、「混沌」などの生命を生み出すキーワードが存在することから、人類は古代より「起源」について興味を持って問いかけて来たということである。
杉山先生の趣旨は、これらの神話で語られていることを現代科学によって語ろうというわけである。つまり、観測と理論という方法を用いて、サイエンスとしての創成を行うということのようだ。先生も言われていたが、この講演時間は30分であり、その中で137億年の歴史を語らなくてはいけないというのは相当きついだろう。
杉山先生のお話は、遠くを見ることは過去を見ることであり、遠方の宇宙の観測によって時間を遡ることができるというものである。ただ、やはり最初の無から宇宙が生まれたのかという問いにはわからないことがあって、真空のゆらぎによって宇宙が始まったのではないかと話されたと思う。また、杉山先生は弦理論の仮説が有効だと考えられているようで、真空のゆらぎからの宇宙の始まりに超弦理論の9+1次元から6次元が小さく丸まり、現在の3+1次元になったのではないかという仮説を話されていた。ただ、ストリングランドスケープ問題というものがあり、弦理論では莫大な種類の宇宙が生まれてしまうので、その中の現在の宇宙が選ばれる理由はわからないとも言われた。一つの解釈として人間原理があるが、やはりそこは物理学者としては避けたい回答だろう。
その後、3+1次元となった宇宙にインフレーションが起こり、その真空エネルギーは熱となってビッグバンとなる。宇宙開闢から10^-36秒後のことである。およそ4秒後には粒子と反粒子が衝突して対消滅を起こしていくが、結果的に10億個に1個多かった物質が残ることになったらしい。対称性の破れがこの不均衡を生み出したらしいがよくわからないとのことだった。
そして3分後には元素が作られる。水素、ヘリウム、リチウムといった元素は現在の元素の99%を占め、ビッグバンによって作られたものである。
さて、そこから38万年後までは、光が物質に衝突してまっすぐ進めない状態だったのだが、原子核と電子が結合して原子ができ始めると、光は物質と相互作用する確率が低くなり、物質に妨げられずに進むことができるようになる。これを宇宙の晴れ上がりといって、光で観測できる一番古い時代ということである。COBE衛星が、この宇宙開闢から38万年後の姿を観測しているのは有名で、宇宙背景放射の証拠などから2006年にノーベル物理学賞が授与されている。現在ではインフレーションの予想と観測事実がほぼ一致していることから、インフレーションはほぼ間違いないと考えられているようだ。
現在では、計算機を用いたシミュレーションで宇宙の構造を作り、観測と比較しているということだが、フィラメントやボイドなどの特徴的な構造がシミュレーションで再現できるとのことだった。こうして、現代では科学的方法による観測と理論を駆使した宇宙創成神話が作られつつある。
最後に、インフレーションの前について質問がなされたが、やはりインフレーション前のことはわからないらしい。重力波の観測では今後インフレーションについて色々と調べることが出来そうだということで、インフレーションについての理解が深まることが期待されている。ただ、インフレーションの前がどうなのかという議論については、当分未知のままだろう。宇宙の始まりから現代までの約137億年が俯瞰できて、非常に面白かった。
続いて東工大地球生命研究所副所長の井田先生。地球外生命をテーマに地球中心主義からの解放というお話を聴くことが出来た。地球中心主義とは何だろうと思っていたが、話が進むとなるほどと感動した。井田先生は最初の紹介で、自分の研究は天空(あの世)と現世(この世)の中間に位置する内容だと話された。空を見上げれば宇宙がある。宇宙の始まりや物質の起源は、宇宙論や素粒子論など人間生活から程遠いように見えるところで行われている。その対極として、地球や生物の研究から医学に至っては、割と身近なものだと感じるものである。井田先生の研究は系外惑星とか生命の起源、意識の起源といった、どちらにも関係のある中間に位置するもののようだ。
さて、その地球外の生命などの話だが、科学的議論は100年ほどタブーとして封印されて来たという。20世紀初頭のNASAの火星に運河があるのではないかという発表が、あまりに刺激的で間違った方向に行ってしまい、科学的議論からは程遠くなったという反省で、地球外生命を語ることそのものが学問の世界で憚られたということだ。また1940年代から1990年代までそうした太陽系外の惑星なども観測する努力はされて来たものの、なかなか発見がなくて誤報が相次いだことも太陽系外の惑星や生命の存在を認められなかった原因かもしれない。
ところが今世紀になって、太陽系外の惑星の発見や、地球外生命の議論が活発になってきた。SFの話は空想だけれども、やはり人類の好奇心は地球外生命の可能性を、しっかりした科学的見地から議論したいという欲求があるのだろう。地球外生命については、自分も興味があり、井田先生の話は非常に興味深かった。
ところで、なぜ今世紀に入ってこれだけ急激に系外惑星の存在などが知られるようになったかは、興味のあるところだ。井田先生のお話では1980年代には観測精度としては十分なものを持っていたとのことだが、それでも発見できなかった。実は、すでにこの時も系外惑星を観測していたはずなのだが、気がつかなかったという話である。
人類は、これまで太陽系という一つの惑星系しか知らず、それをサンプルとして観測を行って来た。つまり、太陽系の惑星に合うような性質のもの以外はノイズとして捨てられて来たのだという。ところが、太陽系外の惑星系というのは今までの常識が通用しない起動や質量分布をしていることがわかり、改めて惑星というものを見直すと今まで見えなかった惑星が見えて来たという。これは今回の講演会で非常に印象的だったことの一つ。
そもそも太陽系という一つのサンプルしかなくて、それと異なるものをどう比較するかなどと考えただけで難しい。今まで見たこともないようなものは、まずそれが何者かを見極める必要がある。地球外生命もそういう意味で、そもそも生命とはどういうものかということを曖昧にして地球外生命を議論するのは無理である。生命については、シュレディンガーが考えていた生命の定義を話されたが、まずはそのよくわからないものを観察してその性質を見極めることから始めなければならない。普通の物理現象では考えられないこと、物理法則に逆らうような現象が起きている部分などに注目して研究を進めるような話だったと思う。
よく考えたら、宇宙人とか未知の生物とかSFなどでも出てくるが、大抵は人間の想像できる、地球の生物を元にしたモデルばかりのような気がする。この話はなかなか衝撃的で、地球中心主義からの解放という趣旨がよくわかり、面白かった。
ハビタブルゾーンの惑星の存在や、実際に系外惑星へ行ってみるブレークスルースターショット計画なども非常に興味深い。地球外生命の話となれば、さらに知的生物にも関心を寄せることになるが、自分も意識の起源というのに非常に興味を持っている。知性とか意識とか言われるものはそもそも何なのか。この分野の研究に期待したいと思う。
休憩を挟んで、東工大准教授の伊藤先生。前回は哲学の先生だったが、今回は芸術の先生らしい。とはいえ、伊藤先生は学部では生物学者を目指していた理系の方だが、自分の目指す道と少し違うと感じて文転されたという。身体論と芸術が専門のようだ。昆虫になって考えてみたかったというのは印象的だった。
まずは霊感(インスピレーション)の話で、霊感とは外部から物質的でない何かが吹き込まれて、人間が創造を行うということらしい。ちょっとラマヌジャンのことを想像した。
最初にピカソが絵を描く動画を見せていただいたが、最初は何がすごいのかよくわからずみていた。そこでは、描くうちにあるパターンが形成され、それが混沌としてまた異なるパターンに変化し、さらにまた崩れてそこからさらに新しいパターンが形成されるという創造のプロセスがみられるという。伊藤先生の
「まさに宇宙創造と同じですね」という言葉がなかなか言い得て妙だった。
ピカソは、自分のなかから湧いて出るアイデアが筆を通して絵画になっていくという、なかなか躍動感のある描き方だった。それで、作品にエネルギーが宿るのであろうか。
日本人の画家である横尾忠則さんの「創作はしりとり」という言葉を引用されたり、パターンからパターンへの躍動感をリズムとして何か混沌から「かたち」が生まれるというような話であった。興味深い話だったが、もともと馴染みがないので、なかなか話についていけないところもあった。もう少し頭の中を整理したい。
伊藤先生の話で衝撃的だったのは、目の見えない人が後退するときに反転しないということ。普通は回れ右をして戻るのだが、向きを変えないでそのまま後ろに下がる。普段から視覚に頼ることが多いのが改めてよくわかった。考えてみれば、目が見えなければ前後は等価なものだ。この例だけでもこれほど違いを感じるのだから、耳の不自由な人、手の不自由な人それぞれ日常生活においては自分とかなり異なる感じ方で生活しているのだろうと改めて想像した。
最後は講演者の先生方が舞台に上がって鼎談。「起源を問う」というテーマでそれぞれの考え方で意見を言われたのは興味深かった。午後のアカデミックな雰囲気を満喫できた時間、これからもこうした講演会にたまには参加して、刺激を受けたい。
東急、JRと乗り継いで東京駅へ。ここから日立まで帰りは高速バス、充実した1日だった。
会場到着
待機中

夕食は好物の生牡蠣
